Su-metal こと中元すず香の魅力を検証する。その2  ~  中元すず香ポンコツ論が実は案外悪くない件

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(注: これは決して一般論ではない。偏見はないが圧倒的な独断であり、僕の個人的見解にすぎない。したがって、客観性などは微塵もない)

世の中には、中元すず香ポンコツ』説が流通しているやに聞いている。
『天然』なる言葉で形容されることもあるようだ。

その実例をひとつひとつ事細かにここに記す必要はないだろう。
僕のこんな雑文を読んでくれている方々なら、すでにはるかに詳しく、はるかに深く知っていることは間違いないからだ。

いくつかの代表例にちょっとだけ触れておくとするなら。

靴を左右間違えて履く。しかもそれに気付かない。
年度末テストにおける『力うどん~職人が力ずくで』『ハリーさん』『デロリアン』など、クリエィティヴィティに溢れる回答。
テストの得点そのもの。
芸人らを相手にトークしたときの想像力溢れるリアクション。

確かにあまりに素晴らしすぎて、常人には理解しかねるときもある。

しかし、世界を見渡してみると、一芸にずば抜けて秀でている人、すなわち天才もしくはそれに近い人たるもの、得意分野、専門分野以外ではかなりブチ抜けているケースが多い。
我らがクィーンは、まさにそのカテゴリーに鎮座されているお方なのである。

そして、中元すず香ポンコツ説なるものが流布されていること自体、実は彼女が“ポンコツ”ではないことの、何よりもの証左といえるのである。

つまり。

もし彼女が「本当に」ポンコツであったり、ボケているのであれば、彼女のことをポンコツだのボケているなどと言う人はいないはず。

本物のポンコツ女の目の前で、お前はポンコツだと言えば大乱闘になる。
相手によっては、こちらの生命が危険に晒されることもある。

本当のポンコツ女のことを、本人のいないところでポンコツと呼べば、周囲の人間が「何てこと言うの!」「お前は人非人だ!」と反応し、非難ゴーゴーになる。

だが。

中元すず香のことをポンコツ呼ばわりしても、誰も文句を言わない。
それどころか、むしろニヤニヤして面白がっている。

なぜか。

それは中元すず香ポンコツではないことを、誰もが知っているからである。

ヴォーカリストとして、パフォーマーとして、BABYMETALというグループの中心人物として、恐ろしく才能に恵まれた女子であるということを皆知っているからである。

現在17才ながら、これまでの経歴があまりに華々しいことは、今や世の中の誰もが熟知していることだ。

だからこそ、ポンコツだのボケてるなどと多少のディスカウントを入れたところでビクともしない。
天然だの何だのと言って、皆で面白がることができるのである。

一方、ファンサイドの事情をながめてみれば、中元すず香が可愛いとか素晴らしいとか才能があふれているとか口にすることに、一抹のこっ恥ずかしさを感じたりすることもなくはないわけで、そのテレを隠すためにポンコツだのボケだのという言葉でオブラートをかけている側面もあろう。隠れ蓑と言っても良い。

好きな女がいたとしても、決して「好き」とか「可愛い」とか言わず、むしろ「ブサイク」だの「ウザい」などと悪態をついたりする、あの心理につながる……みたいな。

たとえローファーを左右逆に履いていても良い。
また、当の本人がそれに気づかなくても良い。

中元すず香のような人材は常に人の注目を集めるタイプなので、別に自分で気づかなくても、周囲の誰かが気づいてくれるのである。

何でもかんでも自分でやらなくてはならない、僕のような凡人とは根本的に異なる。

僕流に“ポンコツ”を換言するならば、中元すず香は基本的に天才肌であり、かつお育ちが大変によろしい。
つまりは細かいことにはこだわらない「おおらか」な性格なのである。

ポンコツという言葉のウラには、きちんと中元すず香の才能を認め、かつリスペクトする気持ちがしっかりと十分、十二分に包含されている。

中元すず香ポンコツ説が、実は案外悪くなかったりする所以である。