BABYMETAL 6.21 幕張の思ひ出と感想文、その2 ~ 可愛いすぎるすうの件 (Part 1)

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【BABYMETAL 6.21 幕張の思ひ出と感想文、その2 ~ 可愛いすぎるすうの件(Part 1)】

※(注1)これはあくまでも僕個人の私見であり、偏見は一切ないものの、圧倒的な独断であり主観である。よって客観性などは微塵もない。
※(注2)写真は BABYMETAL Newswire より。


『ギミチョコ』@巨大天下一武道会において、図らずもサークルモッシュに巻き込まれた僕。

立っていたのが、ステージの真横、完全なる下手(しもて)ということもあり、ステージのみに集中というよりは、とりあえずステージとスクリーンとを交互に見ながら、ゆっくり鑑賞しようかと思っていたのだけれども、その目論見は早くも崩れた。

まあ、いい。

何たって、ベビメタのライヴだ。
ましていわんや武道会。

巻き込まれ上等。
参加しましょう、モッシュッシュ。


とはいえ、なるべくサークルの内周に寄って、走る距離やスピードを抑えておこうなんて考えるところは実に姑息というか、オッサン丸出しなのであった。

元気いっぱいのメイトさんたちと走りながらも、時折り僕はステージの3人のパフォーマンスを見ていた。

んで。

それは、ふと目線を移したときだった。
目の前にある、オーロラビジョンな巨大スクリーンに、すうの満面の笑みが映し出されたのである。

ゔっ。
可愛い。
可愛いすぎるっ!

反射的に思った。

満面の笑み……。

いや、巷間言われる単なる“満面の笑み”とは異なる。
そんなものは遥かに凌駕しているところの。

17歳の女子が、仲良しの友達とテーマパークか何かで純粋に楽しんでいるときのような。
ん~。
近いような気もするが、やっぱりちょっと違うような。

とにかく。

何というか……。

楽しくてしょうがない。
嬉しくてしょうがない。
大好きな仲間、すなわちゆいもあ、神バンド、そして会場を埋め尽くしたメイトさんたちと一緒にこの場に居られることが、この上なく幸せ。

そんな感情を一切包み隠さず、さらけ出しているかのような。

あまりにストレートで可愛すぎる笑顔なのであった。

サークルモッシュで小走りしながらも、僕のアタマの中は瞬時にすうの笑顔で一杯になってしまった。

BTW

ベビメタにおいて「可愛い」といえば、両巨頭が存在する。
言うまでもなく、ゆいもあの二人である。

よって、ベビメタを語る際に“可愛さ”がトピックとなった場合には、99%の確率でメイン=ゆいもあとなることが、政府統計局によって実証されている(たぶん)。

二人との対比というわけでもないだろうが、すうが語られるときには、可愛さよりもその美しさ。
ステージにおけるカリスマ性。
抜群な歌唱力。
などがメイントピックとなることが多いように思う。

だが。

ここ数か月。
特にゆいもあがさくら学院を卒業する前後、つまりは今年3月あたりからであろうか。
一つの変化というか、これまでとは異なった潮目がオブザーヴされることもまた事実。


例えばゆいである。
昨今においては、“可愛い ONLY ルール”(弊社謹製)を逸脱すること甚だしく、特に卒業式においては、実に優雅で美しい表情。
愁いを帯びた表情。
麗しい表情。
を見せるなど、透き通った肌を惜しげもなく披露しつつ、少しく大人っぽさを伴った美しさや綺麗さなどといったエリアに歩を進めているのであった。

さらに、直近のワールドツアーにおいては悪女風味の佇まいを見せるなど、可愛い ONLY ルールは今いずこ、嗚呼、何を考えているの、水野さん……。
なのであった。

一方。
もあも大変に困ったものである。

卒業記念の写真集においては、海の水に浸かりながら、濡れないようスカートのスソを持ち、テヘペロな笑顔を見せる所作。

ワールドツアーにおいては、バディの一部、某パーツの発達によって女子力を大幅アップさせ、男たちをして大騒ぎさせ、挙句は大乱闘を誘発するという始末(推定)。

何気にセクスィな片鱗を垣間見せている菊地さんは、今やまるっと罪子(つみこ)なのである。


要するに。
ゆいもあ共に、美しさ、麗しさ、綺麗さへの進出が煩雑に観測されるようになっているわけで。
このあたりについては、過去、このブログでも様々に取り上げた記憶がある。

本件については、しのごの言わず、いわば“歴史の自由と必然”と捉えるべきなのであろうが、それを受け容れるまでには今少しの時間を要しそうなのもまたおっさんならではの特徴であったりする。

ま、“That’s life”“セ・ラ・ヴィ”とか呟きながら、緩やかに馴染んで行くことになるのであろう。


と……。
そうだった。
幕張の会場でサークルモッシュに参加していた僕の話であった。

すうのあまりに可愛すぎる破顔一笑の一撃にブチ殺された僕は、その後、スクリーンにすうの笑顔が映し出されるたび、
「うわ~、すうってすんげえ可愛かったんだな~!」
と、心底実感、痛感させられ、すうのメインの担当分野が美しさや綺麗さであると思い込んでいた自分をささやかに、しかし激烈に責め立てるのであった。

すうさん、ホント、可愛いです。
可愛すぎます。

んでもって。

少し考えてみた。
一体、あの素敵な笑顔の理由は何だったのだろう。

断じて作り顔ではなかった。
タレントとして、エンタテイナーとして、お仕事で作為的に盛った笑顔ではなかった。

心から楽しみ、喜び、嬉しがっている笑顔。
だからこそ、僕のような枯れたおっさんの心にもずんずんと伝わって来、突き刺さって来たわけである。

長年、HR/HMを聴きあさってきた僕の中には、若い女子が笑顔を作ってさえいれば、それだけで嬉しいなんて素直な心は全く存在しない。

たとえティーンの女子であっても、下手な作り笑いをしている顔には反射的にケリぶち込み兼ねない危険分子でもあったりする。

7~8年前、神戸のキャバクラで、愛想笑いしながらオシボリ手渡して来た女の子に向かって「くっせ~ツラしてんぢゃね~よ、ダヴォ。 あっちけ、カス!」などととんでもない悪態を付いたのは、はい、僕です。
サーセン、反省してます。あのときは悪酔いしていた上、機嫌が悪かったもんスから、許してやっておくんなまし(深く反省の儀。ぺこり)。

そんなささくれた男の心を瞬時に溶かしてしまったのであるから、すうさんの笑顔の可愛さ、そして破壊力は本物だったのである。

ビバ、すうさん。

もちろん、僕は知っている。
すうの外面が可愛いのは。
すうの内面、ココロが可愛いからなのである。

明日は、そのあたりをさらに掘り下げてみたい。

すうさん、カワユス。

(この項、Part 2 へ続く)