水野由結の魅力を検証する〜ガラス細工のような感性を持ったアスリート。その1
【水野由結の魅力を検証する〜ガラス細工のような感性を持ったアスリート。その1】
BABYMETAL の Yuimetal として。
また。
さくら学院の生徒として。
そして卒業生として。
水野由結は明らかにエース級の存在であり。
本人が好むと好まざるとにかかわらず、圧倒的なフロントランナーであり続けた。
もちろん今でも先頭を走っているし、これからもそのペースを維持して走り続けることは確実であろう。
今回から3〜4回に分けて、そんな水野由結の魅力を検証してみたい。
例によって例のごとくではあるが。
これはあくまでも僕個人の私見であり、偏見は一切ないものの、圧倒的な独断であり主観である。
よって客観性などは微塵も存在しない。
単なる独り言であり、あくまでもお気楽な作文である。
んで。
特に章立てにするというわけではないが、とっ散らかるのを避けるために、とりあえずいくつかのブロックに分けてみようと思う。
1)は総論。
2)〜8)は各論。
9)は結論。
みたいな感じであろうか。
1)ガラス細工のような感性を持ったアスリート、水野由結を俯瞰する。
2)カコイイゆい。
3)カワイイゆい。
4)カコイイ・カワイイゆい。
5)美しいゆい。
6)水野由結ファンの間に見られ始めたらしきニューウェーブ 〜 或いはもしかしたらベビメタ(場合によってはさくら学院をも含む)ファンダムにおける小さからぬ変動の兆し 〜 ギルティプレジャーをしたたかに愉しむ所作 〜 「愛してんじゃね〜よ、ヴォケ」「うっせ〜よ、カス」の周辺部、及び煙幕等。
7)水野由結と、エンタメ界におけるマクロな構造変化との関連性〜時代のマクロな潮流に乗った水野が天下無敵な理由(わけ)。
8)少しく心配な……。
9)ゆいちゃんまじゆいちゃん
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では早速、“第1章”w
1)ガラス細工のような感性を持ったアスリート、水野由結を俯瞰する。
自分の学生時代を振り返ってみた場合、運動神経の良い女子を見かけることは少なからずあった。
わけてもバレーやハンド、バスケなどの女子選手は花形であり、男子生徒にも人気があった。
音楽や映画、クルマにバイクなどをマニアックに追求していた僕にとっては無縁の女たち。
というか、そもそもあのテの女たちには豪傑のような女というか、猛者(もさ)というか、つまりはもうほとんど男みたいな女が多く、明るく社交的なキャラはマルとしても、かような女には全然興味が沸かない僕なのであった。
僕にとっては。
ハイジよりクララ。
あまちゃん能年よりもゆいちゃん橋本。
なのである。
運動神経が良いといえば、水野由結である。
もちろんアスリートではないが、敢えてアスリートと形容してみた。
さくら学院の在校生、卒業生すべてを対象に考えたとしても、水野の運動神経の良さはズバ抜けていよう。
文句なくのナンバー1なのである。
すでに今の時点でも、Mikiko 先生の師範代を立派に勤めることが出来るのではないか。
プロデュース委員長として、さくら学院スピリットを自ら具現して来た経験も生かせるだろうし。
それにしても水野由結。
骨格はしっかりしているし。
余計な脂肪は付いていないし。
必要な筋肉は十分に備えているし。
その身体的能力は、瞬発力、持久力ともに相当なものであろうことは、容易に想像できる。
水野由結は、運動神経が抜群なだけではない。
強靭なフィジカルをベースとした、メンタルにおけるタフネスも、堂々のナンバー1であろうと推測する。
しかるに。
水野の、さらにすごいところは。
まるで“ガラス細工”のような、非常に繊細な感性を持っていることである。
肉体と精神はタフ。
感性は豊かでデリケート。
かようなアンビヴァレンスこそが、水野由結の極めて特徴的な部分であると考える。
例えスポーツ少女ではあっても、僕の遭遇して来たような、ガサツなオトコ女たち(あのお嬢様方はこんな作文読んでないっすよね? こえ〜から念のため確認w)とは明らかに一線を画すのである。
その繊細なるココロで感じ取ったものを。
その強靱な肉体と精神とを駆使して表現することができる。
それが水野由結。
パフォーマンスが人々の感動を呼ぶのは、あまりに当然といえば当然すぎるのである。
僕個人の好みで言うと、『Over the Future』の YouTubeビデオが最も衝撃的だった。
ゆいの殺人的なまでの魅力が、ぎゅ〜っと凝縮されているあのステージ。
3年前の冬、赤坂ブリッツでの映像らしいが、あのライヴの現場にいた人たちが本当にうらやましい。
PCの小さな画面で見ても、ゆいの魅力が炸裂している。
ちなみに。
衝撃は、あのビデオを初めて見たときばかりではなかった。
本人の日記で明かされた、あの曲にまつわる逸話を読んだときには、ビデオを初めて見たとき以上の衝撃を受けた。
なるほど、かような背景があり、それを繊細なるココロを基に表現していたのであるから、人々の感動を呼ばないわけがないのであった。
僕は、あの映像がますます好きになった。
そういえば。
これは、2月7日のエントリー「水野由結の闘争本能」という作文でも書いたことなのだけれども。
もしも水野由結がさくら学院に入っていなかったら、恐らくはアスリートとして成功していたのではないかと推測する。
感受性豊かなスピリットとタフなフィジカル&メンタルで、自分を表現する。
種目は、ズバリ、フィギュアスケートである。
華麗な舞なのである。
ところで。
僕は、長年、趣味として音楽をやってきた。
今でもバンドをやっているし、弾き語りもやる。
んでもって、アマチュアのライヴを見ていて、いつもつとに思うのは、音楽は技術がすべてではないということだ。
歌唱力がある。
ギターの演奏がテクニカルである。
キーボードの速弾きがハンパない。
ドラムの打数が圧倒的。
これらはすべて技術面での話である。
技術がある人は、技術がない人よりも、オーディエンスに対する訴求力がある。
それは確かなことだ。
間違いない。
だからこそ、ミュージシャンたちは自分の歌唱力や楽器演奏能力を高めようと、日夜努力しているわけで。
だが。
技術だけがすべてではないところが、案外トリッキーだったりする。
要するに究極的には表現力なのであり、歌唱力や楽器の演奏能力は、その一部にすぎないのである。
例えば歌唱力なら、歌われている主人公に成り切り、その人の気持ちになり、真心を込めて歌う……みたいな。
ある種、俳優に近い部分もあるやもしれぬ。
下手なギターで弾き語りをする素人上がりの人が……。
素晴らしい歌唱力とテクニカルなピアノで弾き語りをする人よりも印象に残ったりすることは、決して珍しいことではない。
要は、最終的に人の心を動かすのは、総合的な表現力であるということで。
閑話休題。
話は水野由結であった。
ダンスの能力がズバ抜けている。
運動神経が良いから、微細にわたる様々に難しい動きを、いとも簡単にやってのける。
そのダンスは必然的にキレッキレ。
で。
フィジカルだけではなく。
研ぎ澄まされた感性も、である。
それを駆使して、アタマのてっぺんから手の指先、つま先までの神経をフルに使い。
実に女子らしく。
丁寧に。
心を込めて表現する。
もちろんときにはワイルドに舞うことだってある。
要は、曲中で歌われている主人公のナイーヴな気持ちを、類稀なる感性と肉体とで表現することができるのであり。
水野が、単に運動神経が良い、ダンスの技術に長けているというだけではない所以である。
もし水野がフィギュアの選手にでもなっていたなら。
オリンピックで、日の丸を背負って競技するくらいの選手になっていたのではないだろうか。
例えば、浅田舞あたりのチームメイトとして。
今はベビメタとして、世界で活躍するアーティストになったわけだが。
いずれにせよ、日本を代表する美少女になっていることには変わりない。
何をするにせよ、要するに、そういう役割を担うべくこの世に生を受けた、貴重な“人材”なのである。
その2に続く。